Can of Wormholes

Insight を得る

Can of Wormholes

Steam

パズルゲームで何かしらのヒント機能を使うのってどこか敗北感がある。なんか、「そんなのもう答えじゃん!」って感じのヒントが出てくると、お前はこのゲームをやるのに値しない人間なんだと言われているような、そんなみじめな気分になってしまうことがある。
このゲームにも、「Gain insight」という名前の、いわゆるヒント機能があるんだけど、これが本当に秀逸だった。この「Gain insight」を使うと、今詰まってるステージと同じギミックを使った少し簡単なステージが出てきて、それを解くことによって「insight」を得られるような仕組みになっている。つまり、各ステージに対して、本来その前にあるべきチュートリアルステージが隠蔽されていて、いきなりプレイヤーに難しい応用的なステージに挑ませているということなんだけど、こういう仕組みでパズルゲームの難易度調整ができるって気づいたのすごいな。

自分がこれまでにやったパズルゲームでは、同じギミックのパズルを何個か用意して、少しずつ難易度が上がっていくような構成になっているのが大半だった。例えば Patrix Parabox なんかはステージの並びが秀逸で、前のパズルが先のパズルのチュートリアルになっていて、段階的に学習していく面白さがあった。こういう構成が良くできてれば問題ないんだけど、一つずつ順番にステージをクリアしていくとどこかで詰まったときに何にも手がかりがなくなってしまう感覚に陥ったり、逆にどこにも手がかりがない状態で考えて自分で思いつきたいときには「これは前に解いたパズルの応用」というメタ情報を得た状態で解くことになるので、敷かれた線路の上を歩かされている気分になることもある。

ロケットを集めて向かう I|I ステージがこれまでのギミックの応用なのも、ちゃんと試されているような感じがして良かった。全体的に常識外れなほど難しくはなく、詰まってもゲーム中のどこかにヒントがあるので、久しぶりに落ち着いた気持ちでプレイできたパズルゲームだった。最近はパズルゲームをやると難しすぎて不安になってばかりで、最後までできる自信がなかった。Stephen's Sausage Roll も積んでしまっているし。

やっぱり前情報をそれほど調べずにゲームをやるのが好き。なんかこのなんもわからない感じが、入社1週間目とか、まだお客さんとして扱われてる時の気持ちと同じで、「自分はこれができなくてもなんにも責任持たなくていいんだ」みたいな。そういう状況でずっと適当なことやってたい。そんな人間にはロクな最期が訪れるはずがない。自分で生き方を選べない人間は自分で死のうとすることすらできない。なんか、ウシジマくんに出てきそうなセリフじゃない?実際、こういうのは歪んだ認知だとは思う(ウシジマくんが嘘を描いていると言っているわけではないですが……)。現実なんてもっといろんな事例があるんだし。でも、いつか、自分の認識を疑い続けることを止めて、この迷妄を信じて、自分を納得させる方向に突き進むしかなくなるときがもうすぐにでも来る。そしてその認識は絶対に、時代の流れに伴い間違いになっていくから、これからどんどん醜くなっていく一方なんだろうな。