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パソコン人間
2017年って自分にとって昔かどうかが微妙なライン。特にゲームだと、今やっても全然古さは感じないけど、なんか一世代前のような感覚がある。単純に自分の人生のちょっとした転換点がその時期と被っているだけだからかもしれない。この7,8年って自分の感覚や考え方とかはほぼ変わってないけど、社会的にはどんどんやることが変わってきて、後戻りできなくなっているように感じる。気持ちはまだ過去のままなのに、体だけ時間が進んでいるような。
なんか一生を通して自分がノスタルジーを感じる年って、ちょうどこの 2015~2018 あたりになってしまうのかもしれない。もし、ここで自分の成長が止まってしまったなら。この場合、成長という言葉が適切か分からないけど。
このゲームが出た年にそれほどこだわりがあるわけではないけど、このゲームは発表されて割とすぐに話題になり、そのときから今まで、嫌でも関連するコンテンツを随所で目にしてきた。このゲームをやっている間、失われた思い出を追いかけている気がした原因はそのせいかもしれない。
あの時自分もこのゲームをやってたかもしれないし、ファンコンテンツをむさぼって無限に時間をつぶしていたかもしれない。そんな自分の様子が容易に想像できるし、なんなら今からでもすぐにその当時の感覚に戻ることができる。実際、YouTube とかで DDLC のファンコンテンツを今めっちゃ見てる。
でもこんだけ流行ってるゲームだと、自分はこのゲームのどこが好きとか嫌いとかざっくばらんにしゃべっても意味あんのかなみたいな気はする。一現象として、どういう流れでこのゲームが出てきたのかとか、どう世の中に受け入れられたのか、とかそんな話を知らない状態でなんか書いても単なる感想にしかならないしな。いや、単なる感想を書きたくてやってるんだから別にいいか。
- Act 1 の文化祭当日に主人公が今日はサヨリの家に行かない選択をするとき、その選択肢がないのは何か意図があるのかなと思った。全体的に選択肢自体に意味がないゲームだけど、あんなあからさまに家に行かなかったことを書くのってあからさま過ぎて不思議な気がした。プレイヤーに対する分かりやすい突っ込みどころとして残してあるだけかもしれないけど。
- Act 2 の最後で ナツキのファイルもついでみたいな感じで消されるのはなんか笑ってしまった。同じく Act 2 のモニカのどアップも笑っちゃった。サヨリの死亡シーン以外のホラー演出はどうしてもクソコラ感があって、自分の感性の問題かもしれないけどちょっと面白が勝ってしまった。一周目はどうしてもみんなのことよく知る前に死んでしまったから唐突な印象を持ってしまう。
- サイドストーリーを見た後だと、悲しいというか諸行無常さを感じるけど、こんなに文芸部で色々あったのにモニカってだいぶ思い切ったことしてたんだな、ってなる。サイドストーリーと本編が同じ世界線なのかどうかという話もあるかもしれない。というか、サイドストーリーはそもそも後付けだし、まあそのことでごちゃごちゃ言ってもな。サイドストーリー自体が神経発達症をネタにしているのではないか?という批判に対する回答なのかもしれないし。
- ナツキとユリがどっちもコンプレックスがねじ曲がった被害妄想によってお互いを疎ましく思っているのがよかった。
- 事前に聞いてたよりは(?)モニカがぐいぐい来ないなと思ってた。良い感じのところで邪魔してきたり、カーソル吸い寄せたり、UIより前に出てきたり、他の部員全員消そうとしたりはしたけど。結構やってるか?でも、その行為がプレイヤーに興味があってのことなのか、現実世界とのつながりを持とうとしてやってるのかは、あえてどっちともつかない感じにしているような気がした。
- Act 2 以降のモニカによる改変がサヨリの描写に比べるとだいぶ大雑把に見えて、作品中の少ない情報からこじつけで、登場キャラクターが何らかの精神疾患を患っていたり、家庭内に問題があったりということにする、悪いオタクのノリのようなものを感じて、モニカはそういうミーム的な存在の擬人化としてデザインされていたのかもしれないと勝手に考えてた。主体のない「噂話」が物語を駆動するように、今どきのゲームではコズミックホラー的な超常的存在がミームを通じて世界に働きかけて物語を書き換えようとするのが流行ってるのかもしれない。