Filament

明日から「ナス」と名乗ってください

Filament

Steam

思いつかない時はずっと思いつかないし、なんかすぐ解けちゃうときはなんもわかってなくてもあっさり解けちゃう、不思議な難易度のゲームだった。

パズルゲームというのはそもそもそういうことがちょくちょく起きるものだけど、このゲームは何も考えず動かすだけでも急に解けたりすることが比較的多いような気がした。よくある倉庫番系のパズルに比べると実質的に動ける選択肢が制限されているのが、難易度が頭打ちする原因なのかもしれない。

このような組み合わせの制限が強めのパズルの難易度を上げようとするとオブジェクト(このゲームで言うところの柱)間の関連性を曖昧にして、マップの密度を下げたりするしかないのかもしれない。そうするともうどこにもとっかかりがなくなって、複雑さに打ちのめされて考える気がなくなってしまう。これは自分の問題かもしれないけど。

最終的に数独とかピクロスの難問みたいに、可能性をのあるところをひとつづつ決め打ちして総当たりで試していくという感じになる。そうなると解法に驚くようなことはなく、ああそのパターンは試してなかったのね、みたいになるだけになってしまう。
ルールは推測するほど複雑なものはない一方、高難易度の問題は単純に面が広くなるので、組み合わせが爆発して根気とワーキングメモリの勝負になる。それを面白いと思えるかどうかは人を選ぶかもしれない。

それこそ頭の体操みたいなゲームなのかもしれない。

なんか「頭の体操」ってなんだよ、ってなっちゃうんだよな。なめるなよ。いつか頭なんか使わなくても生きていけるようになりたいから、みんな毎日苦労してるんじゃないのか?

ちょっと変な話をするんだけど、自分は人間が金のために無意味な競争をさせられているのを観ていられないので、すべてのスポーツや賞レースを憎んでいて、そのせいで、限界まで頭を使ったり体を動かしたり、少しでもスポーツ臭のするものにポジティブな感情を抱けなくなってる。
自分が生きるために嫌々やっていることを、好きでやっている人間や気持ちよく感じている人間がいるという可能性を信じたくない。

仕事も人生も、それが一番クソなんだよな。好きでやってたり、どうせやるなら楽しもうとか言う奴がいるのが。勝手に辞められないものをどうやって好きになったらいいんだ?

こういう考えになっちゃうのは良くない気がする。結局すべてはいつか終わるんだから、もっとどう終わらせるかを普段から意識した方がいい気がしてきた。結局何かを変えるのが怖いという潜在意識が自分に沁みついていて、そのせいで嫌なことでも何もかも辞められないような思い込みを生んでいるのかもしれない。変な話を聞いてくれてありがとう。

ところで、パズルゲームって最後の方はストレスと快感の釣り合いが全然取れなくなってくるんだけど、それでも「ここまでやったし最後までやるか…」ってなっちゃうのなんか、どうしたらいいんですかね?

  • あっさり解けちゃった問題は単純に別解がつぶし切れてなかっただけかもしれない。これだけ問題数あるし、正規ルートでもそこ通れるんだってことが多いゲームだから別解が残っちゃうのがしょうがない気はする。