Judero

カービィに影響を受けたらしい

Judero

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ケルト神話やアイルランドの伝承と関連するおとぎ話をコラージュのようにつなぎ合わせて、一人の人間「Judero」の叙事詩としている、みたいな、そういうことなんだろうか。ともすれば荒唐無稽で救いのない結末になりがちなおとぎ話を、無理やりつなぎ合わせて力業でハッピーエンドにしているような雰囲気があり、一見粗野で呪術的な見た目のビジュアルからは想像つかないくらい純粋で明るい雰囲気がある。

すごく表面的に見ると、リャナンシーに誑かされて壮大な旅に出た人間が、最後はその身を破滅させてしまうという典型にのっとりながらも、最終的には文字通り世界を救うことになるという単純なハッピーエンドになっている。無条件に自分を受け入れてくれる存在(作中では母とも言われていたけど)の発言によって自分の才能を信じ、人生を掛けた無謀なプロジェクトに邁進することをポジティブにとらえているような、孤独な芸術家の素朴で理想的な物語にも見えた。

でも、Mab と Judero のやりとりには常にお互いリスペクトがあり、この描写には、芸術家とミューズの関係が社会的な権力勾配から一方的にどちらかが搾取し続ける歪な構造になることを証明する事例が大量に報告されている中で、それとは反対にお互い共通の目標に対して別々のアプローチで対峙しながら協力しあえるような、そういう関係もあると信じたいという思いを感じた。最近彼女とかできたのかな?とかどうでもいいことを考えてしまった。

こういう作者のどことなく生身っぽい人間性が透けて見えたような気がしたのは、手作り風の見た目からもさることながら、ゲーム中の語り口にもそれを感じさせるようなものがあった。特に奇妙というか面白いなと思ったのは、基になった民話や伝承がゲーム中でNPCからそのまま語られたり、しかも、このゲームはそれらの話を再構成されて作られただけのものなのか?という問いもそのまんまでてくることだった。本当にこのテキストを書いてた時にリアルタイムで考えたことそのまま書いてるんじゃないかみたいな。

ゲーム中に感じられる明け透けな雰囲気が、技術や論理よりも(当然そこにもなんらかのスキルやベースとなる思想があるんだろうけど)、「なんとなくこっちの方が感じが良い気がする」という判断を最終的に選択しているように見えて、「自分の知ってる人間の話を聞いているな」という心地の良さがある。

それぞれの Act ではなんらかの法則に基づいて話がまとめられている気がする。というかゲーム中にその辺の記述もあった気がするが、なんか読み飛ばしてしまったかも。Act 1 ではコミュニティから外れた人間が異形化する話で、Act 2 は外的脅威にさらされ続ける港町の話、Act 3 は何なんだろう、禁断の愛とかの話?なんかこの辺は神話素とかそういうのちゃんと勉強しないとダメかもしんない。この辺は作者自身が、たくさん童話を読んでそのアーキタイプを研究したと書いていたので、こういうところも既存の枠組みに沿っているというより独自研究色が強いのかもしれない。

実際、神話とか調べてるとまず最初に神族の家系図とか出てきて、なんかこいつマジで言ってんのか?みたいな気がしちゃうんだよな。いや、そういう複数の伝承とかをまとめて関係性を突き止めたという功績は素晴らしいものだと思うんだけど、最初は多分、もっとバラバラで言い伝えられてきた面白エピソード集みたいなのがあって、それを後から学者とかがまとめたものだから、最初にそこから入っても「???」みたいになってしまう。だから、このゲームみたいに、生の人間の話としてこういうことがあったんだよみたいな風に話されるとすごく入ってきやすい。