カードゲーム
僕が暮らすこの世界ではとあるカードゲームが様々な衝突やいざこざの解決手段として使われている。

僕が暮らすこの世界ではとあるカードゲームが様々な衝突やいざこざの解決手段として使われている。そしてそれは個人間のみならず、企業などの組織間、終いには国家間の争いでも利用される。トッププレイヤーは幅広く国民からの尊敬を集めるだけでなく、社会的にも強力な権威を持つことになる。
どうやってそのような仕組みが、政治的にも経済的にも矛盾なく機能しているのか僕にはさっぱりわからないが、僕の住んでいる街や世間が完全に崩壊していないということは、どこかに僕の知らないルールがあって、そうしたルールに詳しい人間たちによって上手に運用されているのだろうとなんとなく思っていた。
「なあ、今度『歯命(ばめい)アリーナ』でやる『モッジバサンナ』の大会でさ『竜画崎』が出るじゃん?そいつもうこの辺に来てるらしいぜ。近所の『ドンキ』で見たやついるって!」
友達が興奮気味に話しかけてきた。歯命アリーナは地元では最大級のモッジサバンナの闘技場で、大体5百人程度収容できる。正直それほど大きい会場ではなく、実のところそこで開催されるのはあくまで予選である。ほとんど国営の興行でもあるこのカードゲームの大会は、地方間の格差の是正という観点から全国持ち回りで行うことになっているのだ。そのせいか、なんとなく先生や親などの大人たちも浮足立っているのを感じて、僕は少し所在なく感じている。
「へえ、そうなんだ」
僕は生返事で答えた。正直僕はこのカードゲームについてあまり興味がない。というか名前すらちゃんと覚えていない。なんだか聞くたびに違う名前になっている気がする。
「あの『ドンキ』ってお前んちの近所じゃん?まじで『画竜崎』に会ったらさ、すぐ俺に言ってよ!」
「会いたいってこと?その画竜崎って人を見かけたらなんか伝えたほうがいい?サインもらったりとか?」
「いや、そこまではいいわ。ガチって思われたらいやだし。ていうか、あくまで俺は見る側でいたいんだわ」
急に冷めた友人の謎の強がりだかなんだかわからない理論に違和感を覚えたが、ちょうどその日は母親から頼まれたお使いがあったのでドン・キホーテによる予定があった。ほぼありえないだろうがもし見かけたら連絡するかくらいには思っていた。
いた。流石に興味のない僕でもここ連日のようにテレビに登場する姿を覚えていないはずがなかった。しかし、まだ人もまばらな店内では僕以外に気づいている人間はいないようだった。僕は少し遠巻きに眺めながら携帯で友人に連絡を取ろうとした。いまドンキに――
そのとき、画竜崎の挙動が少し怪しいことに気づく。GABAが入ってるチョコレートの棚の前で異様に周囲を気にしているようにきょろきょろしている。(まさか……?)と思ったつかの間、彼は商品を手に取りコートの内ポケットに入れてしまったのだ。
完全に犯行現場を目撃した僕はその瞬間様々なことを考えた。有名人でも万引きすることあるんだ、とか、最初に目撃する万引きが同級生とかじゃなくってテレビで見た人間になることってあるんだ、とか、そもそも本人なのか?よく似た別人じゃないのか?とか、これって言った方がいいのかな?言うとしてもだれに?中川に?(中川は今連絡を取ろうとしていた学校の友達の名前だ)。
正直、僕は見て見ぬふりをしようと思った。確かに市民として目撃した犯罪を報告する義務などはあるのかもしれないが、正直彼がとろうとした商品の価値とその労力が見会っているとも思えないし、なによりも厄介ごとに巻き込まれたくなかったのだ。
ただ、その日は違った。その日は 11月22日だったのである。いや、一年のうちこの日が特別なのではなく、毎月22日が特別なのだ。僕は毎月22日は人生の不確実性を増すために、普段だったらありえない行動や非合理的な選択を取ることに決めている。だから、僕は画竜崎に直接話しかけることにした。
「あの、今会計前の商品をポケットに入れましたよね?その、まあ入れるだけならいいかもしれないですけど、なんか内ポケットだったので」
なんらかのミスの可能性もあるかもしれないし、最初から犯罪者と決めてかかるのも良くないという思いから、少し婉曲的に万引きを表現することにした。
「え?商品?なんのこと?ていうか、キミ店の人?いつから見てたの?」
あきらかに動揺した様子で彼が答えた。気が動転しているせいか、最初はとぼけようとしていたのに、後半は完全に何か心当たりが無ければ明らかにおかしい言動になっている。
「いや、店の人とかじゃないんですけど、なんかその、あんま良くないんじゃないかなと思って……」
僕は僕で、あまり歯切れのよくない追及を続ける。その様子を見た彼は、最初の明らかに動転した態度からやや落ち着いて話を続けた。
「ええと、いやあその、ああ!これのこと?いや、ごめんごめん。なんかボーっとしてて、間違えてポケットに入れちゃってたよ。ありがとう教えてくれて!」
彼はそういうとポケットから商品を取り出し、そのまま棚に戻した。乗り切ったと言わんばかりの表情を浮かべる彼を見て、少し、こいつの鼻を明かしてやろうと思いが芽生えてしまったのを否定はできない。
「あの、画竜崎さんですよね?マッハボナンザのプレイヤーの……」
彼の表情が途端に真剣になり、再度高速で周囲を確認し始めた。実際、この辺りは死角になっているので、僕ら以外に気づいている人間はまだいない。
「えっと、僕のこと知っていたのかい?その、話しかける前から?」
「そうですね、見たことある人だな、と思って、すみません、ちょっとの間ですけど見てました」
彼は、何かを考える様子で、そうか、そうかなどと独り言をつぶやきながら、本来は周囲をうろうろしたかったところ十分なスペースがないので、その場で回転するような動きをしていた。
「その、良かったらこのあと二人きりで話はできないかな?その、ちょっとしたお願いがあるんだ」
今この状況は十分二人きりで話が出来ているのではないかと思ったが、どこか隠れ家のような場所に案内されるのではないかと、恐怖や危険よりも僕は少し期待を持ってしまっていた。
「一階の駐車場まで来てくれないかな?」
だったらここでも良くない?と思ったが、めんどくさかったのでついていくことにした。駐車場につくと彼は、ここなら安心だと言わんばかりの様子でコンクリートの壁にもたれかけた。僕も、正直この人ってしょうもない人なのかもな、と思い始めていたのですっかり緊張の糸が切れていた。
「その、お願いって言うのはやっぱり、万引きのことを誰にも話すなってことですか?」
「万引きってキミ、はっきり言うねえ!いや、でもそれだけじゃなくって、ってまあそれもあるんだけど」
ヘラヘラ笑う彼につられて自分も笑ってしまったことを今でも後悔している。
「お願いって言うのはほかでもない『マッドサバンナ』の大会のことでさ、ここで予選大会が開かれるのはしってるだろ?当然僕もそれに出場するんだけど、それに僕に代わって出場してほしいんだ」
急に何を言い出したのか。僕はこのカードゲームについて詳しくないどころか一度もプレイしたことがないし、そもそも今週に開催を控える試合に今から急に代わりとして出場できるはずがない、といったことをしどろもどろながらに主張した。あまりにも唐突で驚いたこともあり、仔細は覚えていないがそのようなことを言った記憶がある。
「いや、それは大丈夫なんだ。急な交代も『ルール上は』なんの問題もない。」少し間を置いて彼は続けた。「キミは『マッハボナンザ』について何も知らないと言ったね?そして、その名前すらもうろ覚えだと。それを聞いて、言い得て妙だと思ったんだ。だってこのカードゲームはルールはおろか、その名前すら正確に決まっていないんだからね。
キミもこのゲームのルールについて誰かに聞いたことがあるんじゃないか?そして満足いく答えが得られたことがあったかい?いやきっとなかっただろう。当然誰もこのゲームのルールを知らないからだし、さらに言うとルールブックのようなものも存在しないんだ。
じゃあどうやって勝敗が決まっているのか?それはこれまでの試合の前例から逆算するようにすべて決まっているのさ。例えば『マーチング・ウルフ』が盤上の真ん中から少し右の位置に縦向きに置かれた状態で、敵側の陣地――この敵側の陣地なるものすらろくに決まっていないんだけどね――の『深淵なる峡谷の主』に対して『攻撃』を宣言したとき、『深淵なる峡谷の主』が『破壊』され『墓地』に送られたという前例があれば、それがそのままカードの強弱になるんだ。
どうやってそんなゲームが世界的な規模で行われているのかって?それは僕だってわからないし、不思議には思っているんだよ。でも、僕はその状況を利用できるって考えたんだ。そもそも僕がこのゲームの最強プレイヤーとして君臨し続けられているのは、ルールが存在しないおかげなんだ。僕はどうやってこのゲームで勝ち続けているのか?それは簡単で、毎回毎回、新しいカードを作って新しい『ルール』でゲームをプレイしているからさ。当然僕が出すカードには何の前例もないから誰もそれを否定できない。時には相手の出すカードに合わせてその場で適当な仕組みを思い付きで作ってる時さえあるんだ」
彼は滔々と話し続ける。まるでこの世界の仕組みを暴露するかのように。
「でも、それが今度の大会で僕が代わりに出場するのと何の関係があるんですか?」
僕は、彼の話を遮るように問いただした。
「それは……もう無理になってるんだよ、新しいルールを考えるのが、とかではなくこのゲームそのものがさ。実際もうルールなんてもうなんでも良くなってきているんだ。どんないい加減なものでも通るようになってきている。だから、もう僕じゃなくてもいいんじゃないかと思って。僕と二人で協力して、このゲームを終わらせよう。代打として急に出場した無名の選手が大会を無茶苦茶にしていく……そんな役割を担わせるのは酷かもしれないけど、キミはキミで最強のソッギメメンポプレイヤーとして地位も名声も手に入るし悪い話ではないと思うんだ。しかも、今日は11月22日だろ?いや、1年でこの日が特別ってわけじゃないんだけど、僕は毎月22日は破滅的な行動をとることで人生のエントロピーを大きくしようって決めてるんだ。だからさ――」
「いえ、大丈夫です」
僕はそう答えると、そばに停めてあった自転車に乗って家に向かって漕ぎ出した。顔面に触れる空気抵抗がいつもよりはっきりと感じられ、自分の顔の輪郭がまるで他人のもののようだった。