Leap Year: March

つまりもう一年たったということ

Leap Year: March

itch.io

いわゆる Knowledge based と呼ばれる、アイテムなどを手に入れるのではなく知識が増えることで探索範囲が広がるゲームって、「そんなん言われんと気づかんよ」みたいな仕様をどうやって作ってんのかな、っていつも思ってる。

Outer Wilds (特にDLC)は、特定の場所で落下したり、ランタンを置いたり、死んでからVRの世界に入ったり、本能的にリスクが大きくて試さないような行動を前提に置いていた気がする。

このゲームも自キャラがジャンプした高さで落下死するのを見てから「じゃあさらに高いところから落ちてみよう」と思うことなんてないし、針に横から入るのだって危険そうな感じがする。

自分はゲームの中ですらビビって試そうともしないことがたくさんあるんだ、という気づきから、発見の面白さの裏には潜在的な恐怖心のようなものがあるのかも、とか考えた。この種のゲームをやっていると、この恐怖心こそ、世の中がそれほど極端なことになっていない理由である一方、人生に停滞をもたらす原因だということを突き付けられているような気持ちになる。でも、『Slow Tuesday Night』の世界ではこんなゲームは流行らないだろうから、こういう葛藤があるからこそ面白いゲームが生まれるのかもしれませんね。どう思います?あなたに聞いているんですよ。

でも一番怖かったのは、 Leap Year のゲーム説明ページで開発者による想定プレイ時間が2時間と書かれていて、ちょうど自分も2時間くらいでクリアできたことかもしれない。割と変なところで詰まってた記憶があるんだけど、それも想定済みだったってこと?自分の脳が完全に解析されている。

Leap Year: March は、説明にも書かれている通り、前作をクリアした人向けの高難易度マップで、前作で言う「28日」まで集めた後のマップの延長に近い。

難易度が高くなるとどうしても 前作をやっているときにはそれほど気にならなかった、不慣れな操作やリトライの煩わしさが、失敗を重ねる度に浮き上がってくる。加えて、前作をやっているときに自分が面白さを感じていた新しい仕様の発見も、今作ではほとんど存在しない。なので、新しい仕掛けを発見することで、一気にできることが増えたような解放感を覚えることもほぼなかった。

普通によくできたアクションパズルをやっているという感じ。普通によくできてはいるんだけど、そもそも自分は、よくデザインされた仕様の発見に至るプロセスをちょっと体験してわかった気になっていただけで、 Leap Year のパズルについて何も理解していなかったのかもと思った。