Rain World
まだDLC途中だけど
いつまでたってもなくならないストレッサーと立ち向かって、飯食って寝る生活を続けながら、目的があるのかどうかわからないまま日々を過ごすのは現実そのものかもしれないし、そういう絶望を仮想的に実装する方法としてこのゲームが取った手段が正しいのかどうかは、自分の知ってる事例が少なすぎて全く判断がつかない。でも、Pathologic 2よりは正しいと思う。
昔、初めて Survivor でクリアしたときの感想メモがあった。
アイテムは最大三つしかストックできないうえに一番重要な槍に至っては一本しか持てないので、ほとんどの脅威に対して試せる手段が何もない状態になり、隠れてやり過ごすだけになる。
基本的にパワーアップアイテムはほとんどないため探索による発見がこのゲームの何よりの醍醐味になるが、即死してはリスポーン地点に戻るのを繰り返すことになるため、何度も同じ道を通る羽目になり、敵の動きもAIで乱数によるところが大きくどうしても通れないような敵配置になることがある。同じルートをお祈りしながら走り抜けるストレスとそこを通り抜けた報酬が発見の喜びのみであり、これがかみ合っているかと言われると個人的にはちょっと否定的な立場。
パワーアップ(カルマの最大値上昇)もあるにはあるが大したものではないうえにとれる条件も不明瞭。
また探索に関しても、各リージョンの目的地といえるものは他のリージョンへのゲートのみで、ゲート以外でストーリー上重要な地点がある場所は3か所程度。ほかのリージョンへのゲートも多いところで5つ程度で、そこまで広大なマップを探索しているという感じもない。少ないリスポーン地点と即死トラップで引き延ばされている印象。
ただそれでも各リージョンには常に新しい発見があり、procedural generation のアニメーションによる妙に生々しい動きをする生物や、美しい背景に、自分がなにか特別な世界を発見したのだと(あれだけ道中イライラしてこのゲームに対する呪詛を並べ立てていたのに)思わせるものがあり、これまでの理不尽な仕打ちに対しても少しだけ報われたような気分になってしまう。
総合すると、マップ、難易度、操作性とか全部やばいけどまあ他にないゲームだなとは思う
涙目になりながら Subterranean を抜けてクリアした直後に書いたから、ロクな内容ではない。ただ抑圧された感情を吐き出しているだけ。
でも今回 Gourmand で初めてクリアしたとき、このときほど胸をえぐられるような気持ちにはならなかった。アップデートでバランス調整が入って多少は理不尽な死が減ったのもあるけど、最も重要な原因は、このゲームに「目的」があるのを知ってしまっているから、ということだと思う。そうなると Rain World に対して自分が特別だと思っていた感情が少し失われたような気がしてしまった。
スコアタとか、The Gourmand ならフードクエストを進めたりして、自分で自分を追い詰めていったとしてももう二度と得られないような経験だと思う。
なんというか、クリアすることにあまり意味が無いようなゲームなんじゃないかというよくわからない考えが湧いてきた。抑圧的な状態から解放されることで感情の激しい起伏が起こり、それを感動だと脳が捉えるのは何も特別なことではないし、このゲームが初めてやったことでもなければ、最も衝撃的に実装したわけでもない。クリアしたということよりもプレイ中にこの絶望を体験したことに意味があるような気がして、途中でやめてしまっても最後までキャンペーンをクリアしても重要な経験は一切変わらないように思える。
これは完全に妄想だけど、このゲームがある種の人生における絶望的状況を再現しているということであれば、それに立ち向かったにしろ、逃げ出したにしろ、それは個人の選択の問題なので、単なる人間であるゲーム開発者の分際でどちらかの選択に対してご褒美を与えるのはおこがましいという考えがあり、それが基になって、積極的にクリアを促す要素がゲーム中に提示されない、プレイの進捗に対するゲームシステム上の報酬が極めて少ない、という実装になっているのかもしれない。
プレイヤーに対して真に対等な目線でクリアするかどうかまで委ねている、ゲームそのものに対して最もラディカルな視点を持ったゲームが、それなりの規模の出版社から販売されていて、割と大き目のファンベースまであるのは不思議に感じる。ナメクジネコが可愛いから……だけではないような……
話が戻るけど、たしかにゲームで報酬をもらうときに、「困難に立ち向かったお前にご褒美を与えよう」という姿勢を勝手に感じて、ちょっと嫌だなって思うことが正直ある。そのせいで一時期、強いボスや難しいマップを突破してご褒美を得るということに正直飽きていたところもあった。実際、そういう外から与えられた目的のためにゲームをやるのが嫌になってこの感想をつけ始めたんだったと思い出した。
(ゲームで得られるご褒美に飽きていたというのは、単になんらかの症状で自分の脳の報酬系が弱まっているだけじゃないかという話はあるけど……)
目的を探すのがゲームの目的になっているという意味でいうと、自分がやった中では Outer Wilds や Witness に近い気もしたが、この2つは最終的な目的は不明だが、直近で達成すべき小さいゴールは明らかだし、それをクリアしたときにはそれなりの達成感があり次のゴールが何なのかも想像できるようになっていた。
一方 Rain World ではいくら食べ物を見つけて一日をやり過ごしても、何になっているのかがさっぱりわからない。何ならゲートをいくら通っても、結局何も見つからず、より厳しい環境で生き残らなくてはいけなくなっただけに感じることもある。
謎のレトロゲームを説明書なしで遊んでる感じとが近いのかもしれない。最近やったゲームだともしかしたら February 2003 とかがもっとも近い感覚があった。そもそもこのゲームってクリアとかいう概念があるの?という感じ。
Saintのキャンペーンまでクリアして久々にアセンションのシーケンスを見て、そりゃこんなん見たら誰だって「自分は特別な体験をしたんだ」ってなるよって改めて理解した。なんか自分も偶然中学の時にヤン・シュヴァンクマイエルの映画を観たときの、なんも意味分かんないけどすごいもん見たって感じを思い出した。
- 元々1マップでトカゲから逃げながらエサ喰って寝るのを繰り返すゲームとして開発してたところに、後からでかいマップを付け足したらしいから、上で書いたような絶望的なゲームデザインになったのは偶然の産物なのかもしれない。
- ごちゃごちゃ書いたけど、Mosa Lina や Gutwhale の作者の方の レビュー でもっとすごく説明されているので、自分で書く必要なんてなんもなかった。特にどうしてこのゲームがこんなにも絶望的な印象を与えるのかについて語っている部分は面白かった。
- 苦行系のゲームは存在そのものが少し苦手なところがあるけど、これはグラフィックがかっこいいし、謎のモチベーショナルトークみたいなものもなくゲームをクリアすることに対して極めてニュートラルな立場を貫いている感じがやりやすかった。そもそも Survivor キャンペーンの目的が苦痛にまみれたサイクルからの解脱だし。