RIKO

人生って人生かもな

RIKO

itch.io

自分が Stephen's Sausage Roll をそこまでゲロヤバい感じにならずに(いや、結構なってたか?)やれたのって、ソーセージの形と大きさが固定だったからかもと、このゲームをやって思った。その部分が変わらなかったことで、解決までの道筋を小さい問題に分割して、新しく考えなくてはいけない部分に集中することができた。

これが解決できても、まだこんなに問題が残っている。しかもその問題は前の問題と影響するから下手に解決しても手戻りになるかもしれない。自分はこのような状況で心理的にストレスをとても感じやすい。こういうストレスと戦うことが高難易度パズルゲーム、ないし人生のテーマだったりするんだろうか。人生の幸福ってその先にしか無いんだろうか。まあ、幸福があるかどうかはわからないにせよ、世の中みんなそういう人生をやっているんだよな。一人だけ愚痴言っててもしょうがないか、という気持ちと、いやこんなん無理だよってもっとみんな文句言っていいじゃん、という気持ちがある。

こういう話をして、「いや、自分は問題なくやれてますが?」みたいな顔されると金閣寺に火でも放ちたくなる。自分にとってはこの気持ちが高難易度パズルゲームをやってるときに感じる暗い情念の正体なのかもしれない。断ち切らなくてはいけないのか。

だから、こういうゲームのコメント欄を見て「自分には難しすぎる」と言っている人を見ると安心する。難しすぎるゲームをやったら難しすぎると言っていいんだ。「自分にとっては簡単でしたが?」という奴がいても気にしなくていいんだ。いや、やっぱり気になる。なんでわざわざそんなことを言うんだ?何が目的なんだ?問題があるのは私か?それともお前か?両方なのか?お前の人生は順調か?その能力を生かせているか?何が不満なんだ?

こういうのは、自分の成功体験を後ろ盾に人から注目されたいという「欲」に正直で一直線な姿に、いけ好かなさを覚えるだけという話ではあるけど、なぜかわからないが、七色祐太さんが、『蝸牛②』の久呂田まさみ作品に関するコラムに書いた、「大きな黒目をキラキラと光らせて野山を駆け回る若侍の姿に、私は心の底からゾッとしてしまいます」という一言を思い出した。現象だけを見たらポジティブなことなんだけど、その裏になにか暗い中年男性のねじれた認知が隠れているような。

こんな話はどうでもよくて、このゲームのパズル自体は、時折神経衰弱状態に陥りながらも、解答には納得感があり、すごく楽しかった(いくつか、動かすのが面倒なだけなルービックキューブやってるみたいな面もあったけど)。本当に Stephen's Sausage Roll に影響を受けたというだけあって、そのレベルを期待していても十分楽しめる出来だった。こんなんを無料でやってしまっていいのか。こんなものがあっては金全然なくなっても人生割となんとかなるかも、と思ってしまう。