SIGNALIS
We're not using the Z word.
ホラーゲームをやっているときに何か失敗やミスがあったとしてもあまり自分が悪いと思えないのは、そもそもそういう理不尽なストレスをプレイヤーにかけることを前提としているゲームデザインだから当然だろ、と思ってしまう割と勝手な先入観のせいかもしれない。
個人的な感覚の話でしかないけど、ゲームとして滞りなく進捗しているにも関わらずなぜか行き詰っていくほうが作中の恐怖演出に同調しやすい気がする。逆に、何度も同じ敵からダメージを食らったり、道を間違えたりなど、ゲームプレイ上で明らかな失敗を繰り返していると、自分が滑稽に見えてきて没入感が失われてしまう。
プレイ中の怠さやめんどくささを超えてゲームの世界に没入するためには、自分はホラーゲームが好きなんだという自己催眠のような自覚が先に必要なんじゃないか。いや、そもそも好きなジャンルというのはそういうものかも。自分もパズルゲームやってるとき明らかに苦痛の方が上回っているのにあえて無視しようとしているときがあるし。
でも、このゲームのどこがどう怖いかを説明しようとしているレビューを読んで、自分はホラーゲームを「怖い」というより、「やっててうんざりする」というとらえ方しかしていないなと思った。怖さを感じる解像度が低いというか、不安や未知の恐怖、それによる失敗や絶望を当然のものだと考えすぎて、恐怖がどのように発生してどんな影響を生じなんのために存在するかとか全然考えてなかった。失敗のペナルティが怖さだけなら甘んじて受ければいいやという漫然とした気持ちで生きている。そんなやつにはホラーゲームは刺さらないのかもしれない。
配信では感じ悪い終わり方になってしまった。言い訳だけどわざわざ2022年に出たゲームだからなんかあるのかもなって思ってたところ最後までサイレントヒル2やってる感じだったので、どうしても肩透かし食らったような気がしてしまった。まあ最後までサイレントヒル2やってる感じが続くならそりゃ圧倒的好評になって当然か。
とはいえこのゲームは、ほんとにクラシックなホラーゲームそのまんまというより、そこまで迷ったり行ったり来たりする必要が無いようにセーブポイントの場所も調整されていたり、プレイヤーがやりやすいように結構丁寧にバランス調整されていたと思う。
以下はやばい妄想:
現実(プレイヤーが生きている方の現実)との乖離度が小さい順で、「自宅<ロートフロント=マンデルブロート工業高校<ペンローズプロジェクト<採掘施設シェルピンスキー<非在の場≦虚無」みたいに考えてて、どの部分に現実か妄想かの区分を引くかという読み方もできるかもしれない。つまり、例えばペンローズプロジェクトまでが現実ととらえれば、作中のシェルピンスキーはエルスターとアリアーナの成しえなかった希望や怨念がこもった妄想の世界で、冷凍睡眠中の曖昧な意識の中で見た悪夢という解釈もできるかもしれない。悪夢の中で集合無意識のように別のゲシュタルトやレプリカの意識や記憶が流れ込んできているみたいな。
もっというと、そもそもペンローズプロジェクトも存在せず世間のつまはじきもののエルスターとアリアーネがなんらかの破滅的な逃避行を図ったことの暗喩だったり、レプリカや太陽系をまたいだ戦争の話もエルスターとアリアーネが考えた妄想とかだったりしたら個人的には好きだけど、そこまでいくとちょっと無茶がある読み方のような気がする。
でも、生体共鳴という仕組みが提案されることで赤目などのコズミックホラー要素に説得力も増していて、これを真とするなら、虚無側から作中の現実世界にあるシェルピンスキーに実際に影響を与え、ドッペルゲンガーであるエルスターとファルケ、アリアーネとアリーナが意識を共有し、生体共鳴を使用し現実を改変したかのような解釈もできるようになっているかもしんない。
最後の自宅での母からの手紙でアリアーネ・ヤンの世界にもアリーナ・ソウが実際にいるらしい情報が提示されることで、現実との乖離レベルが最も離れたところと近いところ(この乖離レベルはなんの根拠もない自分の妄想だけど)が繋がるような仕組みがあるのは面白いし好き。