South Scrimshaw, Part One
39兆(あと5000万)
異質な知性とのコンタクトものとして、読み手であるプレイヤーが異星のクジラ(Brillo Whale)と出会う、そんな形式になっているように感じて面白かった。子クジラを介して思春期のアイデンティティーの統合の危機などを描く人生の寓話としての一面、群れから取り残された親子のクジラたちが豊かなサンゴ礁に向けて危険な旅をする叙事詩的な語り口、そして意図的パンスペルミア説を絡めた架空の生態系を説明した科学的なパロディなど、重厚なSFとして読み応えのある物語だった。
そしてこれらが、地球の姉妹惑星 ARIA に住む子クジラからの視点と、それを調査する(おそらく)地球の人間からの視点とで層になって書かれることで、クジラに対して、知性を持った存在としての共感と単なる実験対象としての観測とが、お互いにアイロニーとして作用する。これにより物語に対して複雑な見解が生まれて、世界観や登場人物(クジラ)に対する読者の好みによらず物語に没入できる。
ここまで書いてあれだけど、実は動物に対して人間的な感情の枠組みを恣意的に適用しようとするタイプの物語は少し苦手というか[1]、動物の感情についてそこまで理解が進んでいるわけないだろ、みたいな気持ちが湧いてきてしまって、あまりマジになって読めないというのがある(動物あるいは他者について共感を得られた経験が著しく少ない人間の典型的な認知の歪みと言われたらそうかもしれないけど)。
この作品でも、クジラが作るあまりに人間的すぎる表情には漫画的な強調を感じて、上で書いたような感情が少し湧き上がって来ることはあった[2]。それでもクジラや、人間も含む生態系全体に対する生物学的に詳細な考察が感じられる記述が出てくることで、それをカバーしてくれていたように感じた。そして、そういう記述が架空のドキュメンタリーという体を取ることで、違和感なく挿入されていた。
野生の動物を主人公とした創作物語を、子供向けの寓話として書くのではなく、架空の動物の生態を記録したドキュメンタリーとして書く[3]ことで、より多層的な読み方が生まれたり物語世界に対する広い興味を持つことができるようになっているすごい作品だと思った。