Space Funeral
Blood
もうやる前から面白いだろうなと思っていたけどそのまま面白かった。タイトルメニューで3つ目の Blood を選んだらゲームが終了するところからウケてた。
でも最後に「完璧な世界」に戻って終わるのはやっぱり悲しいエンディングだなと思った。そもそもこのゲームのハチャメチャな世界観を求めてプレイし始めて、続けるうちに愛着を得ていった矢先に、「そうかこういうのって全然メインストリームでウケてないんだ」って現実に引き戻される感じ。
荒唐無稽な夢の世界が終わって残酷な現実の世界に引き戻されるようなエンディングは『ゆめにっき』もある意味そうかもしれないけど、このゲームはそもそもゲームとしての表現によってそれを突き付けられている感じがあった。お前たちが楽しんでいたこのゲームの音楽、映像、そしてストーリー全ては、現実ではグロテスクな狂気の産物としてしか受け取られないんだ、お前らがひねり出した産物よりもこのRPGツクールのプリセットの方がずっと「完璧」なんだ、とでも言われているような。
こういう現実に対する頑なな態度は、精神的な若さに由来する過剰な防衛反応をすごく直接的な形で表現しているように見えるけど、それが若年世代を慮って(もっと言うと受けを狙って)作られたものではなく、作者の正直な気持ちから湧いてきたようにみえるところが一番面白かったところかもしれない。
もっと言うと「成長」という概念が出てこないのが自分が共感できるタイプの若さなんだと思う。つまり若さが未来を予感させるただの不完全な状態として扱われていないことが、自分もそうだけど、どうせ現実に対する葛藤に完全な決着をつけて生きている人は誰もいないんだろ、みたいに鼻を明かしてくれたような気になって喜んでいるだけなのかもしれない。
- 実際はRPGツクールにバンドルされているマップチップの過剰使用(あるいはそれを単に指摘することすら使い古されていること)に対するジョークなのかもしれない。真相は闇の中……と思ったけど、作者の方はゲームに対するエッセイを色々と公開されているので、その辺を探ればどういう意図だったのかは案外わかるのかもしれない。
- 『裸のラリーズ』をこれで初めて聞くことになるとは思ってなかった。これから裸のラリーズ聞くときは Space Funeral のことを思い出すようになるんだ。ていうか裸のラリーズ聞いて、マヘル・シャラル・ハシュ・バズみたいとか言ってたのコイツ?