The Case of the Golden Idol

明るさ設定の画面、絶対ギャグだと思ってたけどどうもそうではないのかもしれない

The Case of the Golden Idol

Steam

推理アドベンチャーゲームの大トロの部分だけ(というか味のする部分だけ?)やってるようなゲームだった。

調査が終わって証拠が全て集まった状態からストーリーを推理する、その部分だけをやり続ける。フラグを立てるために同じ人物に何度も話しかけたりマップを行ったり来たりする必要はなく、作者の都合で証拠自体が隠されたり歪められたりすることもなく、常にフェアな状況で推理することができる。

最終章のメアリーが持っているエドマンドからの手紙のように、最初は意味の解らなかった証拠がふとした瞬間にめちゃくちゃ重要な証拠だと気づく驚きもあるし、プレイヤーの知らない所で登場人物たちが共謀していたり、裏切っていたり、鞍替えしていたり、人間模様に思いをはせるような楽しみもある。

面白いんだけど、淡々と推理をする連続で、まるで試験でも受けているような気持ちになる。あるいは、えらい人に提出するための調査報告書でも書いてるような。最初は、推理ゲームの「味のする部分」と思ってたところが、そこだけ抜き出されると舌が慣れてしまって味がなくなってくる、というか脂っこくて胃がもたれてくる、そんなことがあるんだろうか。

なんとなく抑圧的な雰囲気を感じたのは、話が地味というか外国文学の古典のようで、国語の授業で読んでいるような気分になったせいかもしれない。とはいえ、ストーリーを推理するというゲームの仕組み的に、あまりに突拍子ない展開や想像がつかないような設定を導入しちゃうと、不可能な難易度にはなってしまいそう。『未解決事件はおわらせないといけないから』もストーリーはシンプルだったし、この辺は人類が進化するまではしょうがないのかもしれない。

集まった証拠から事件を推理するという仕組みだけでなく、全体的に抑制的で淡々とした雰囲気も含めて、『リーガルダンジョン』にすごい近いゲームに感じた。『リーガルダンジョン』はちょっと理不尽目な難易度だったのに比べて、このゲームは快適にクリアできるレベルの難易度に調整されている点がすごいとこなのかもしれない。

推理の難易度をうまく調整している要素として、各章に用意されている任意のサブ目標がよくできていたと思う。いきなり全体の流れを推理するのではなく、サブ目標をクリアすることで真相に至るために必要な情報を整理することができる。まず何を考えたらよいかの筋道を示唆してくれたり、証拠の一部から解る情報を部分的にまとめてくれたり、どう取り組んだら良いのか解らなくなることがなかった。

追加エピソード「レムリアの吸血鬼」の後半になってくると動詞や一般名詞の穴埋めが増えてきて、より空白の状態から物語を想像する必要がでてくる。それも難易度が上がっている要因なんだけど、なんか、文章からではなく一枚絵から物語を想像しなくてはいけない場面も増えてきてちょっと苦手だった。骨壺が開かれた後があるから盗まれたはず、とか、この人物が近くにいるから人質に取られてたはず、とかそういう条件で推測するのって暴論っぽい気がして(いや絵以外のヒントもあったと言われればそうなんだけど、そうなんだけどさ)。

あと、こういう一枚絵から物語を想像するのって似たような有象無象のモバイルゲームを思い出し、「これってもしかしてそうなのか?」という気がしてしまって、条件反射的ではあるけどマジになってやる気が失せてしまったかもしれない。ゲームやってるときに「もしかして自分は今、どうしようもなくつまらないことをやらされているんじゃないか?」という致命的な疑いが湧いてくると、一気に気分が落ち込んでしまう。ただでさえゲームをやってる時間そのものに疑いの気持ちがあるのに、そのうえつまらないんだとしたらもう。

いや、「レムリアの吸血鬼」をやっているときに疑いの気持ちが生まれたのは、単純にめちゃくちゃ天気のいい休日の昼間にためこんだ洗濯物を放置してゲームをやっていたからかもしれない。本編や「ランカのクモ」は普通に楽しかったです。

  • オリジナル版だとクリックできる場所や文字のガイドはデフォルトでオフになっているので、割と画面中をポインターでスキャンしたりする必要はあるらしい。やっぱりそういう地味目の作業でも、それがあることでちゃんと画面を見たり、文字読んだりするから良かったりするんですかね。