The Pedestrian
でも、あんたの苗字

気楽にやれて、難易度曲線もちょうどよく、最後には2つの視点を切り替えながらパズルの構成を変化させて解くような、メタ的なパズルもあって楽しかったです。
それでも、特に前半のパズルをやっていたときのわずかな退屈感みたいなものが、どこから出てきたのかが妙に気になってしまっている。
退屈感から、Kickstarterで跳ねたプロジェクトってどうしてもサンクコスト効果が生まれるよな、みたいな取るに足らないことを考えてしまい、さらにゲームに集中できなくなっていった。
そういうゲーム外部の影響の他にも、ゲーム内のパズル自体、行き止まりを避けて分岐を一つずつ選んで進んでいくと自然に解けてしまうステージが多く、「パズルっぽいこと」をやってるだけかもという思いが湧いてきてしまった。
ほとんどのパズルは理論上、可能性のある選択肢を全探索すれば解けるんだけど、その中でも楽しいと感じるものと、あんまり何やってるかよくわからないものがある。
自分の考えでは、この違いが生まれる原因は、当初気づかなかった選択肢が見つかったときの驚きがあるかどうかにあると思っている。これの前提として、当たり前だけど、その選択肢がプレイヤーから隠されていている必要がある。
これまでやったゲームはどのようにそれをやっていたか、せっかく謎文章をわざわざ書いてるので、列挙してみようかと思ったけど、ろくにタグ付けとかしてなかったから全然パズルゲームだけ抽出とかできないじゃん。
でも一応、新しい選択肢を発見するために、プレイヤーの行動として何が必要だったかという感じでとりあえず挙げてみました。
- ① ゲームを進めていけば自然と発見するもの
- 新しいステージに来たときなど、直線的にゲームが進行するにつれて現れる新ルールやオブジェクトにより、これまでなかった挙動が新たな選択肢として登場する。ほぼすべてのパズルゲームに当てはまると思う。
- 『Monster's Expedition』 の長い丸太や、『Stephen's Sausage Roll』の押すことのできるブロックなど、既存ルールとの組み合わせで成立するものもあれば、『UltraNothing』 のようにほぼ無関係の新しいギミックが登場する場合もある。
- ② 探索/調査が必要なもの
- 隠された場所を見つけて別ルートやショートカットが使えるようになる、アップグレードアイテムを見つけてできるアクションが増える、また、オブジェクトに対するインタラクションとアウトプットのパターンを、プレイヤーが試行してルールを理解する。これらは選択肢の増加につながる。
- 『空と海の伝説』のようにマップ探索要素がある、ほとんどのメトロイドヴァニアはこれかもしれない。また、『Manifold Garden』や『Blue Prince』、URLも場所だと考えると『Hypnospace Outlaw』などは特定の場所そのものが答えになっている。
- 『違う冬のぼくら』や『Past Within』など、相手側の視点を認識すると選択肢が増えるのも、コミュニケーションによって探索を行っていると言えるのではないのでしょうか。
- 『The Pedestrian』でいうと帽子など、一本道のゲームの途中にある隠し要素は、それを発見して選択肢が増えないので関係ない。
- ③ 偶然の行動が必要なもの
- ここで言う「偶然の行動」とは、既存ルールの仕様上可能だったにも関わらず、プレイヤーの心的制約が原因で実行されなかった行動を指す。言わば問題空間の拡張・変化であり、探索によっては発見できないらしい。
- 上の場所やアイテムの発見に近いが、この問題はいわゆる発想の転換が必要になってくる。『Toki Tori2』のように初めから使用できるアクションが特定の状況で新たな効果を持ったり、『Blue Prince』で言うと既知の部屋に特定のアイテムを持っていくと何かが起きたり、
- 『Witness』の風景パズルや、『Baba Is You』の隠しレベルなどのメタパズル的な要素も、プレイヤーがパズルの存在を認知していなかったところに、既存のルールとの共通点を見つけて解くことができる要素なのでここに含む。
上で書いた分類は、全然網羅的でも排他的でもないので、そもそも分類ですらなく、なんかパズルゲームってこういう要素がよくあるよね~ってくらいのものでしかない。しかも、探索や偶然の行動などが必要なものは、どのようにそれがゲーム中で実装されているか、さらに、選択肢の増加による影響の大きさも重要だけど、ここではなんも言ってない。役立たず。無能。下痢の油壺漬け発酵野郎。
③まで実装できているゲームはあまり多くないし、なんか飛び道具みたいな感じもあるので、②の探索や調査の過程で、新たな選択肢を発見したという感覚を得られるかどうかが自分にとっては重要なのかも。
この探索の際に、推理や偶然など発見の喜びにつながる行動が表れる条件については、選択肢の組み合わせの数が、分岐の枝刈りと全探索だけで解けるとプレイヤーが判断する範囲に収まっているかどうかで決まっている気がする。自分の場合は、選択肢の組み合わせが3桁未満程度であれば、総当たりで解こうとしてしまう。なので、それ以上の選択肢がなければ、推理や偶然の入り込む余地がなく、発見の喜びが得られる機会がない。
じゃあ選択肢が少なければ悪いのかと言われるとそうでもなく、十分に選択肢が少ない場合、例えばピクロスのように決まった解法があるなら、それぞれの手順の際に判断が必要な選択肢はごく限られたものになる。機械的な単純作業に集中していると疲れを感じにくい、いわゆるゾーン状態になる気持ちよさがある。
選択肢が、発想の転換は必要ない程度に少なく、解法を手順化して作業に没頭することもできないくらいには多いとき、枝刈りしながら分岐を全探索する必要があり、ただ疲れを感じてしまう。
どれくらい選択肢が多かったら疲労を感じるのかは、その人の能力に依存するので、単なる 「Not for me」 かどうかの問題と言われればそうかもしれないけど、統計的にこれくらいの選択肢の多さだったら何パーセントの人はだるさを感じる、みたいなのはあるのかもしれない。