The Plucky Squire

高いブランド力

The Plucky Squire

Steam

サムの机の上のうろついているとき、ミニチュアを眺めているときに覚える満足感がある。ある、と書いたけど本当にそんな感覚が一般的かどうかは全くわからないし、なんか恥ずかしいことかもみたいな思いもちょっとある。

でも、少し調べたらミニチュアを鑑賞することで得られる心理的効果についての研究 が存在した。卒業研究なので規模は小さいけど、一人だけではないっぽいということはわかった。

少しジャンルが違うけど、ウォーハンマーのようなテーブルゲームを対象にしたミニチュアとの関わり方についてのアンケートをまとめた研究もあり、この研究ではプレイヤーがミニチュアをどう楽しんでいるかについてざっくり6つのカテゴリーに分類している。このカテゴリーの中で、自分のはこれかも、と思ったのは「ストーリーテリング」にあたる気がする。これがどういうものか、アンケートの回答を引用すると「私はミニチュアをめぐって頭の中で物語を作り上げることが好きです。ポーズをとりながら想像したり、基地を作るときにはミニチュアが暮らし、戦う環境について考えたりします。」ということなので、つまりブンドドなんだけど。

ただ、実際にフィギュアを触って自由に動かし、素材から物語を創作するのは、自分の幼稚な表現力と向き合わなくてはならず、ハードルが高く感じるが、ミニチュアを眺めてなぜその場所にそれが置かれているのかを勝手に邪推するのは比較的気楽。特にドールハウスのような日常生活の一部を切り出したような作品は、そこに生活があるという前提が全てのモノの配置を正当化することにより違和感が排除された空間のスナップショットであり、これを眺めることで停滞を肯定されているという安心感を自分は得ているのかもしれない。

このゲーム自体は素朴な子供向け冒険譚であり、そのような作品に対してこうした退廃的な喜びを感じるのは大人だけなのか。実際自分は子供のころからミニチュアを見てこうした感情を抱くことはあったし、存在しない「故郷」とか「家」のようなものをずっと探している気がする。