The Stanley Parable: Ultra Deluxe
無限たこ

「大丈夫、大丈夫!もうぜんっぜん面白いから。わかってるから」と、いくら言ってもずっとしゃべり倒してるおっさんと一緒にゲームをやってる感じ。逆におっさんの反応が何もないときも、突然スカされたように感じて妙に笑えてしまう。完全に無敵状態だった。
登山では、頂上からの景色など具体的な報酬目当てではなく、頂上まで登れたという達成感を得るために登頂するみたいな話はよくある(たぶん)。ゲームでも実際にクリアして得られるご褒美(カットシーン、ストーリー、または一枚絵など)が正直期待外れでも、あるいはそもそも何も期待しないまま、クリアしたという自尊心を満たすためだけにプレイすることがある。
その点このゲームは、エンディングの面白さという具体的なご褒美目当てでずっとプレイしていた。カスみたいな自己肯定感だのなんだの、ゲームの外部に目的を求める必要がなかった。「ただ楽しみのためにプレイする」というゲームの役割から一切離れずにいる。最後までずっと面白いゲームだった。
ただ、それだと本当にくすぐって笑かそうとしてるだけみたいなAIが作ったYouTube Kidsの動画のようなものにも同じようなことが言えるんじゃないか。おっさんが面白おかしい声色で突拍子のないことをまくし立てていれば、脳が刺激されて意味なく笑ってしまうだけなのか。
そうではなく、実はこのゲームで突拍子の無い行動を取っているのはほぼプレイヤー自身だ。プレイヤーは自分が「ふざけている」ことを自覚しながら、ナレーターにより理性や客観的視点を失なわずにいられる。ただし、ゲーム中のこの役割は、プレイヤーとナレーターで頻繁に入れ替わる。安心と緊張の間で感情が揺れ動く。これが、このゲームに退屈できない一番の理由だと思った。
最後はナレーターが不在の間に、タガが外れた The Settings Person とともに、「ふざけた」続編を作り出す。この揺れ動く感情を、少しいたずらっぽく解決したように感じて好きだった。
- Ultra Deluxe の追加要素、バケツエンドが特に好きだった。オリジナル版のエンドには、マインドコントロールシステムをオンにしたときなど、多少恐ろしい雰囲気のものもあるが、バケツエンドはネタに全振りという感じが好みだった。あと「掃除用具入れエンド」も。
- 字面だけ見ると「説教臭い」ように感じることも言っているので、ナレーター(ナレーター役?ナレーター「役」ってなんか変じゃない?)の Kevan Brighting 氏の演技力というか人柄で感じが良くなってるとも思った。