The Witcher 3: Wild Hunt
どうやって老いを受け入れたら良いのか

- これの感想をどう書けばいいかちょっと迷ってる
- 自分はそもそもゲームに対して「何か集中できること」を求めているので、いわゆるオープンワールド系のゲームにあまりハマれないところがある
- 「何をするか」の選択肢が多いゲームより「どうするか」の選択肢が多いゲームの方が好き
- 「何をするか」の選択肢が多いと集中力が削がれる気がするから
- ただでさえゲームなんかしていても何にもならないのではという思いがある(実際なんにもならない)ので、集中、没頭できる要素がないと、空虚さに抗う手段がない
- 様々な要素が複雑に絡み合っているリアルなゲームより、抽象的な世界で単純化された問題を解くようなゲームの方が自分は没頭しやすい
- 個人的には、「なんでも自由にできる」ゲームの方が没入感が削がれて、作業のように感じるときがある
- その手のゲームは単調作業による素材集めとか強化要素があるから、そういう部分で熱が冷めてくるというのはあると思うけど…
- 数字を増やす作業は嫌いじゃないけど、同じような結果が得られる作業を繰り返し行うのが苦手なのかもしれない
- なんというか、ゲームの世界でまで、自分ではコントロールも予測もできない複雑系に翻弄されたくないという思いもある
- その点ウィッチャー3 はメインクエストだけでもボリュームがあるし、どうでもよさそうなサブクエストにもちょっとしたプロットツイストが用意されていて、作業感をうまいことごまかしてくれているように感じた
- ただ、やっぱり主人公のキャラが強すぎるうえに、前作をやっていないので知らない人がずいぶんな訳知り顔で出てきて、記憶喪失ロールプレイをしているようなときがあった
- ただ、やっぱり主人公のキャラが強すぎるうえに、前作をやっていないので知らない人がずいぶんな訳知り顔で出てきて、記憶喪失ロールプレイをしているようなときがあった
- 以下は相当どうでもいい話
- やっぱりウィッチャーという存在の設定(長命だけど精力満々、しかも子供が作れない)がおっさんのドリームすぎる
- しかも、子供が作れないという設定があり普段は根無し草のような生活をしているのに、シリの父親的存在にまでなっているのがもう欲張りすぎじゃないか(割と短い間しか一緒にいなかったんじゃないの?)
- 娯楽冒険小説の設定としてはそんなもんでいいかもしれないけど、ちょっと小っ恥ずかしい
- まあ、最終的にゲラルトは元の木阿弥になったから納得できるかもしれないけど…
- でもシリ女帝エンドは見てよかった、なんかこうゲラルトと袂を分かれる感じが、よくわからないけどお互いモラトリアムが終わる感じがして
- ゲラルトにモラトリアムを感じたのなんでなんだろうな?ウィッチャーとして熟達してる感じはあるけど…