yet another planning doc

Google ドキュメントで会話すればそのまま議事録になるのかもしれない

yet another planning doc

yet another plannig doc(itch.io)
i need to let it out(itch.io)

なぜこのゲームをやっているのかと聞かれて、答えるの難しいなと思ったけど、それって、何かをやる理由を考えるとき常に客観的な意味や他者からの視点を内面化しているせいしれないなと思った。具体的には、「自分」という人間がこのゲームをやる特殊な背景があるのか?と悩んでしまう。別に自分は特になんでもない存在なので。

でも、ゲームをやる理由って単純に、それをやることでどうなりたいか、から逆算するほうが自然だし健康的だよなと思った。そうすると、自分の場合は、単純にそのゲームを「やったことない状態」から「やったことある状態」になりたいからやってるだけなんですよ。

実際にやったことで自分が何を感じるかを確認したいという意味で、こういう変なUIのインタラクティブフィクションならなんでもいいからやってみたいという思いがある。さらに具体的に言うと、最近モキュメンタリーというかARG風の謎解き要素のある作品をいくつかやってみた経験から、こういう手法はフィクションと現実とを強力に繋げる一方、エンタメ要素としての謎解きを実装するため、結果的に動画やWebページのようなフォーマット上で暗号的なコミュニケーションが常に行われていて、それ自体にどうしてもリアリティを感じにくく、物語に没入する阻害要因になっているなと感じていた。もっと単純にフィクションのキャラクターのやり取りに現実味を持たせるためだけの仕組みとして、システマティックなUIを導入しているゲームをやってみたかった。やってみて実際どうなのかを知りたかった。

というか、Aliya, Analogue, In Other Water, Kevin や Hypnospace が自分の中で特別な印象を持っている意味を再確認したかったのかもしれない。もしかしたら Cross Code も架空のMMO風のUIを再現しているという意味でこれに含まれているのかも。だから .hack もやってみたいんだけど PS2 を用意できていない。あとPS1とか昔のPCゲームでそういうのって色々挑戦されていそうな気がするけど、正直そこまでさかのぼって探したりとかできていない。 NOeL とかもちょっとやってみたいけど、さすがに PS1 のあまり情報のないタイトルをやるのって原液飲んでるって感じがして、耐えられるか不安。

話がそれたけど、このゲームは Google doc や G-Mail 上でキャラクターの会話文が記述されているというだけなんだけど、そもそもこういうサービス上にフィクションが書かれることは完全に意識の外にあり、未体験ゾーンから殴られることで不意をつかれて、本当にこういう人間たちが世界のどこかに存在するように錯覚した。こういう手法って、Vlog風動画や何らかのコーポレートサイトのような形であっても当初はフィクションの意識外にあっただろうし、すごい速さで陳腐化していく性質を持っているなのかもしれない。

あと、登場キャラクターごとに Google アカウントを作ってるのって結構手が込んでるなと思った(規約的にどうなのかはわからないけど)。そう考えると「アカウント」って、例えば仕事用やプライベート用のように、現実でも様々な場合に応じた人格単位で取得していることは珍しくないし、それってフィクションのキャラクターを作り出しているのと通じるところがあるかもしれない。