VIDEOVERSE
Miiverse は未プレイです
十代のころに何らかのネットコミュニティに入れ込んでちょっと痛い経験をした思い出をできるだけポジティブに捉えようとしている姿勢が作品全体にあって、こういうのはよくある若気の至りの一つに過ぎないから必要以上に恥ずかしがらなくていいんだと胸が軽くなる一方、そんなに甘やかしちゃって大丈夫?変な癖ついちゃわない?みたいな気持ちもまだちょっとある。
こういう楽天的な雰囲気とちょっと素朴な感じの絵柄も相まってティーン向けのネットリテラシーの教材のようにも見えた。教材にしてはみんなルールに反してリアルで出会いすぎだけど。
ビデオチャットでの会話は基本的には一般的なノベルゲームのように選択肢を選んで話が分岐するが、それとは別に Videoverse という架空のネットコミュニティ上でモデレーター(非公式だからいわゆる"自治厨"とかに近いのかもしれない。しかし"自治厨"って言葉今聞くと笑っちゃうくらいひどいね。)としてふるまう部分がリアルさにブーストをかけている気がした。モデレーターとしてネガティブなポストを報告して自身の書き込みでも Compassionate な人間としてふるまうようにすることでコミュニティレベルを上げていく。自分がやった中で似たような仕組みが存在するゲームだと Hypnospace があったけど、あれは人との交流はなく、あくまで雇われのモデレーターとして機械的に違反を報告しながらピカレスク的なITベンチャーの栄光と破滅の物語を第三者的に観測するような感じだったので、このゲームのようにモデレーター自身にもウェットな人間関係が存在するほうが現実のネットコミュニティ的にはそれっぽいのかも。
特に、とあるゲームアーティストの書き込みに対する「あのゲームの絵嫌いなんだよな」程度のコメントまで報告しているときに(そりゃ礼儀としてわざわざそんなこと書くなよという話ではあるけど)、ほんとにこんなどうでもいいことやる意味あるの?とか、Vivi に良い格好したくてやってるだけじゃない?みたいな猜疑心がわいてきて、これは未熟だが熱心なコミュニティモデレーターの追体験としてリアルなのかもしれないと思った。
でも、「ほんとうにここまで必死にやる必要あるの?」みたいな気持ちを振り切ってまでやっていく動機として、そうしないと特別な結末にたどり着けないんだろうなというゲームの攻略法的な考え方が正直あって、これが本当に現実の追体験として正しいかと問われると少し違和感はある。
現実もそりゃ日和見的な選択ばかりしていてはどうにもならないというのはあるかもしれないけど、なんかそういう話があってもいいじゃん、ゲームなんだし。プレイヤーの選択なんだからなんのカタルシスもないしょうもない結末になってもいいじゃん。
このゲームもプレイヤーの選択によっては最後に Vivi が発表に現れず帰りの電車でちょっと会話して Vivi に気づかれずに終わるエンディングもある。それはそれでいいんだけどゲーム的にはいかにもバッドエンドというかわざわざ見なくてもいいような気がしてしまうのは、さっきと言ってることが逆のようではあるんだけど、そういうしょうもない側のエンディングがそうでないエンディングと比べてただ何かが足りないだけのようになっているのが少し残念かもしれないという話です。なんかわかりづらいね。自分もよくわかってないしただわがままなだけかもしれない。
特に何の関係もない別のゲームの話をするのはあれだけど、Alone with you はここにきて最後にそんな選択していいの?みたいなのがあって、しかもそんなちょっと台無しみたいな選択をした後のエンディングが本当に美しいのが、ちょっと気持ちよくしすぎだろみたいな思いもあるけど、なんかエンタメの皮をかぶってこういう台無しなことをしてもゲームだったらプレイヤーのせいにできるから問題ないんじゃないのかというあれがある。ゲーム開発者はもっとどんどんプレイヤーのせいにして台無しなシナリオを書いてほしい。